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​香炉・磁器室礼®︎

”美しいものを美しいと感じる心のゆとりを持って旬のものを盛るとき、

その「心」が「形」となって『室礼』という文字に魂が入る”

「室礼三千」主宰の山本三千子氏に師事し、こう学びました。
この磁器室礼®︎はその学びにある家庭内文化、土着文化を尊び

一年の四季を感じられる道具へ想いを込め、作陶したものです。

歳月を重ねながら脈々と受け継がれた四季折々の風習を
室礼の空間に融け込むように、香を焚く香炉として仕立てました。

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​[一月・人日の節供 ]

​鏡餅

鏡餅が丸いのは、銅鏡を似せていることから神様の魂を象徴していると言われており、昔の人々は鏡に神秘な力を感じ、そこには神様が宿ると考えていました。また、お餅には稲の霊が宿っており、お餅を食べると力を授けられると考えられ、「福と徳」が重なるようにと願いをこめて二つ合わせられました。
鏡餅は年神様にお供えし、昨年の実りと平穏に感謝し、新しい年の豊穣と平安を祈りました。江戸時代前までは、この年神様の魂が宿った鏡餅を「お年魂(おとしだま)」と呼び、家族全員で魂をわかちあい、新年の無事を祈ったとされています。

​[二月・節分 ]

​梅

季節と季節を分ける隙間の節分は、邪気や悪霊が忍びやすい時期で、特に冬から収穫の春に向かう節分は、自然と共に暮らす人々の大きな関心ごとでした。

​その邪気や悪霊を祓う行事が節分です。二月はまた寒が増す月でもありますが、梅のほころぶ月でもあり、奈良時代の万葉集にはたくさんの梅を詠んだ歌がありました。日本の文化や人にとって欠かせない花の一つです。

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​[三月・上巳の節供]

​菱餅

三月最初の巳の日に無病息災を願い、春の禊として水で清める行事と、宮中のひいな遊びが習合して女の子の健康と幸せな結婚を願う『雛祭り』となりました。

その雛の料理に願いをこめて作る餅が菱餅です。
緑はよもぎ、ピンクは桃の花、白は雪。春の息吹と共に雪の下にはよもぎが芽を出し、雪の上に桃の花が咲くという春の生命力を表しています。よもぎの新芽で作った草餅を土台に、菱形にするのは、邪気を射抜くために矢尻を模したという説があります。

​[四月・花まつり]

​筍

お釈迦様の誕生を祝う催しは、灌仏会(かんぶつえ)と呼ばれ、日本には中国を経由して606年に元興寺に伝来しました。以降、全国のお寺でも広く行われるようになり、誕生を祝います。
花まつりと呼ばれる由来は、お寺の境内に花御堂を作り、お生まれになったルンビニーの花園にちなんで、生誕仏を花で飾るからと言われています。
室礼では、小さな筍を生まれたばかりの仏様に見立てて用います。それは土の中から空に向けて伸びて成長する姿が誕生仏に似ているとして、「仏影蔬(ぶつえいそ)」と呼ぶことにも由来しています。

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​[五月・端午の節句]

​柏餅

五月五日は中国古来の重日思想(奇数が重なる月日は不吉な日とみなし)災厄を避けるための行事の思想が、日本に伝わり、重要な節目として中国に倣って菖蒲や蓬を御殿で使われました。

菖蒲は尚武(しょうぶ)に通じることから江戸時代には男の子の健やかな成長を願うお祝いの日となりました。

節供に供される柏餅は、柏の親葉が次の新芽が育つまで枯れても冬の間、落ちずに守ることから「次代が生まれるまでは当代は死なない、家が絶えない」という縁起を担いだ子孫繁栄の願いを表しています。

​[六月・嘉祥菓子]

​白瓜

嘉祥菓子の由来は諸説あり、平安時代に疫病が身体に入らぬように元号を「嘉祥」に改め、仁明天皇が6月16日に、16の数にちなんで嘉祥喰いといって餅16個を食べる催しが行われていたそうです。

そのため、和菓子の日となった6月16日は、和菓子屋には厄除けの中国古来からの五色の饅頭が並びます。

その五色は青白赤黄紫の色を指し、青の色に「白瓜」、紫の色に「茄子」と、その色の饅頭の代わりに盛る「見立ての文化」は古くから多岐にわたる分野で用いられる文化的な技法であります。

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​[七月・七夕の節供]

​梶の葉

働き者の牛飼いの彦星と機織りの上手な織姫が、一年に一度だけ天の河を渡って会うことができた中国の星祭りの伝説です。

中国では乞巧奠(きこうでん)と呼ばれ、逢瀬を祝うもので2600年以上も遡ります。

日本の奈良時代には宮中の節会として取り入れられ、特に女性たちは二つの星の願いが叶う日として、竹竿に五色の糸を掛けて恋愛成就を願いました。

二星が船で天の河を渡るという説から、船の「舵」は「梶に通じる」ということで梶の葉に願いを書いて捧げるようになりました。

​[八月・お盆]

​ほおずき

お盆はご先祖様や亡くなった人たちの霊(精霊)をお迎えするものです。

八月十三日は精霊を迎えるために軒先に火を灯した盆提灯を吊るし、ご先祖様の霊が迷わないように、仏壇や精霊棚に明かりを灯してご先祖様を迎え入れます。

灯すその明かりの見立てとして「鬼火(ほおずき)」を飾ります。これを迎え火といい、鬼灯の空洞に精霊が宿るとも言われています。

お盆を過ごした精霊を送り出す「送り火」は精霊が帰る道を明るく照らすことから。
精霊流しも送り火の一つで、
地方では爆竹や打ち上げ花火など華やかに精霊を送り出すところもあります。

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​[九月・十五夜]

​芋

「十五夜」は故人を偲ぶ行事でもあり「中秋の名月」とも呼ばれています。中国では月を愛でながら詩歌や管弦の演奏を楽しむ「中秋節」という行事があり、日本には平安時代ごろ伝わりました。

江戸時代ごろに庶民に行事が伝わると、農作物の収穫祭のいろが濃くなります。人々は月の満ち欠けで月日を知り、作物を育てる目安としてきました。

きぬかつぎ(里芋)を主食としていた当時は、中秋は里芋が収穫される時期だったため、豊穣を象徴する満月の夜に里芋を供えて、神様に感謝したことから十五夜を「芋名月」というようになりました。

次第に里芋を中心にさつまいも、じゃがいもなどをお供えし、観月の風習が加わりお月見となったそうです。

​[十月・十三夜]

​栗

十三夜とは旧暦の九月三十日の月のことです。

十五夜は知られていますが、本来のお月見は十五夜と翌月の十三夜の両方を観月することをいいます。

また、十五夜しか観ないのは「片月見」「片見月」と言って縁起がわるい、不吉なものとされていました。

十三夜は別名「栗名月」または「豆名月」といい、芋名月と同じように、この時期に収穫されたものから付けられました。

天皇がその年に収穫された新穀を神々に捧げ、五穀豊穣を祈願して神と共に食す新嘗祭(にいなめさい)が行われます。

神にはもち米、仏にはうるち米を捧げ、そのお下がりをいただく直会(なおらい)では芋や栗、茸などの秋の収穫を感謝しながら冬を乗り切る滋養をつけます。

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​[十一月・霜月]

​筥迫

七五三の始まりは室町時代と言われ、子の成長の証を神様に報告するものとして関東地方の風習としてはじまったと言われています。

数えで男の子は三歳と五歳の時に、女の子は三歳と七歳の時にお祝いをします。三歳の祝いを「髪置きの儀」といって髪を伸ばし始めます。五歳は「着袴(ちゃっこ)の儀」と呼び、初めて袴を身につけます。七歳の女児は「帯解きの儀」「帯直しの儀」といって、幼児の着物の付け紐から正式に帯を変え、結ぶ日です。髪を結い、かんざしを挿し、懐に「筥迫(はこせこ)」をはさみます。筥迫は上部に小さなかんざしがついており、もし女性として辱めを受けた時に、自分で自分の身を決するようにと、喉元までの長さがあります。女性として己を大切にするように親が子に教え示したとされています。

​[十二月・師走

​南京

二十四節気の一つの冬至は、一年中で最も昼が短く、夜が長い日であります。一陽来復と言われ、この日を境に陰が極まって陽が生ずることから、運が上昇に転じると考えられ、名前に「ん」が2つ付く「なんきん(かぼちゃ)」を食べることで「ん」を多く取り、運気を呼ぶと信じられていました。

師走に南京(かぼちゃ)を食べるのは「冬至」」の習慣で、特に栄養価の高いかぼちゃは、冬場の栄養不足を補い、風邪を引かずに冬を乗り越えるために適した食材でした。

また、かぼちゃの黄色は古来より魔除けの色とされており、この色を食べることで厄を祓い、健康を願う意味合いもあったとされています。

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​室礼(しつらい)を行う意味。

 山本先生に師事して、一番心に響いた言葉は、

「年中の行事というものは、家庭の歴史をつむぐものであり、

​家族の絆を再確認する機会になります」という言葉でした。

その家の行事を通して、飾りつけや掃除、料理の仕方や、盛り付けなどを手伝いながら、

家のしきたりや習慣を受け継ぎ、

日々を重ねるごとにご先祖様や家族の繋がりを感じようになっていきます。

それは都会より地方であるほど、根付いてる土着文化を垣間見るように思います。

ご先祖様が使っていた道具や、しきたりがまだ残っているからでしょうか。

「室礼は物言わぬものを通して心の礼を表すもの」

使う道具は高価なものを用意する必要はなく、

日々の暮らしの中で大切に使われてきた、いわば「魂の入ったもの」があれば、

そこにご先祖さまも行事に参加したこととなる、

そう先生から学ばせていただきました。

 この磁器室礼®︎は暮らしの年中行事の室礼を通して家庭の歴史をつむぎ、

新しい自由な心を持って「事を行う」、

きっかけの入り口を仕立てたいと思い始めました。

 

 自分の生き方や人との絆を確かめたり、

自分を取り巻く様々なものに心を寄せてみる時、

そこに新しい気づきと、以前感じていなかった美しさ、愛おしさが見えてきます。

​そうして私たちが必要としている心の糧をいつか探し当て、

自分の心に、周りの人の心にも与えていくことで心が豊かになり、

美しい日本へ繋がっていくことと願っています。

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