top of page
  • 執筆者の写真topophili

一時を置く


目紛しいご時世、社会も環境もどんどん物事が早く変化しています。

その早さについていかなければ「時代という船に乗り遅れてしまいますよ」と急き立てられているかのようです。

世間を見渡すと時間を無駄にするなと言わんばかりのことだらけ。

ひとつのことをしながら他のこともするという「ながら」を推進するようなことが当たり前になってきています。

例えば、食べながらテレビを観る。

音楽を聴きながら電車に乗る。

スマートフォンを操作しながら歩く。

何かをしながら別の何かをする、こんな日々が多いと感性のアンテナが鈍ってしまう気がします。

折角、食事をするのに、テレビの画面や音に気を取られると、目の前のお皿やフォーク、テーブルクロスなどの彩りや素材の香りなどを感じるアンテナが散漫になり弱くなります。

珈琲の香り、かじる林檎の音、窓から見える景色や窓から入る花の香り、たくさんの心豊かにする自然を感じないのはもったいないことです。

五感が薄れ、感性のアンテナが鈍ると、いくら無農薬の野菜や新鮮な食材を体に取り込んでも、その消化や吸収される力は半減し、また栄養も半減してしまうのでは?と思うのです。

「ながら」をしたくなる癖、こみ上げる感情、何時も一時を少し置くと、それが本当にしたいことなのか、素直な想いなのか、いろいろ見えてくるものがあります。

忙しいという漢字は心を亡くすという意味から来たものです。

いま、一時、置いてみる暮らしにしてはいかがでしょう。


bottom of page